きっと、生きる力に近い方へ/「カフェと宿ROUTE」松田みわさん

きっと、生きる力に近い方へ/「カフェと宿ROUTE」松田みわさん

カフェと宿ROUTEで働く、松田みわさん。私より年上なのだけれど、つい可愛いとかお茶目とか、そんな感想がわいてしまう。そんな彼女に出会ったのは一年前。出島町にある本屋でのことだった。頑張っているのにうまくいかない、そもそもどうなりたいのかわからない。そう店主に愚痴る私に、たまたまカウンターの隣の席に座っていたみわさんがこんな心理テストを持ちかけたのだ。

―生まれ変わったら何の果物になりたい?

聞けば、その人の理想の姿や価値観を映し出す心理テストなのだという。私は、生まれ変わりたい果物?と考えたことのない質問に眉を変な形にしながら、“梨“と答えた。どんな時もしゃくっとしていたい。爽やかで凛とした人に見られたい—そんな理由だった。

「じゃあ、みわさんは何になりたいんですか?」

「私はバナナかな。バナナはみんな好きだし、どうせなら喜んでもらいたいなって」

そう笑う彼女を見つめながら、私は目をぱちぱちさせた。私の答えが、自分自身の理想の姿について答えていて、誰かに食べられることなんてちっとも想定していなかったのに対し、みわさんは「周りの人に喜ばれる存在でありたい」という視点で答えたからだ。

梨の私と、バナナのみわさん。本屋の片隅で交わした果物の話は、みわさんという人を知りたいという思いへと変わっていった。全く異なるタイプの彼女は、どんな人生を歩み、今何を考えているのか。—そんな好奇心から、このインタビューは始まった。

人と音楽に囲まれた幼少期

みわさんは、東長崎にある矢上団地で生まれ育った。一人っ子だったものの、団地の同世代の子や祖父母、いとこに囲まれて遊び相手に困らない環境だったという。

「結構男勝りな感じで、自転車乗ったり野球したりサッカーしたり……友達と遊ぶのが好きでしたね」

現在も、絵をかいたり写真を撮ったり…と多趣味なみわさんだが、子どものころからすでに文章を書いたり絵をかいたりして遊んでいたそう。特に音楽は、幼稚園の頃から親しみ、中学・高校時代には吹奏楽部での活動に熱中。「ほんと、365日のうち364日くらい吹奏楽をやってた感じ」と懐かしんだ。

「特に高校の時の部活は、九州大会に行くのは当然、くらいの強豪でした。授業が終わったら走って音楽室まで行って、カバンをバーンと投げて並べるみたいな。ぺアを組んで、二人の音程がぴったり合わないと音楽室に入れないみたいなルールもありましたね」

強豪の吹奏楽部は、まるで体育会系といわれるほど練習も厳しい。辞めたくなることもあったのだろうと思って聞くと、意外にもなかったらしい。

「コンクールで金賞をもらった瞬間とかが多分嬉しいだろうなって思ってたんですけど、それほど嬉しくなくて。むしろもっと次頑張らなきゃみたいな感じになるんだって思った記憶があります。だから意外と、みんなで毎日お昼ご飯を音楽室で食べてたときとか、楽器を運んでるときとかが楽しかったかも」

膝にお弁当箱を載せ、皆の輪の中で笑うみわさんの姿が目に浮かんで、つい口の端があがった。

葛藤の中で見知らぬ土地に

吹奏楽一色の高校生活を終え、後期受験で長崎大学に入学。しかし、望んだ入学ではなかったという。

「正直言っちゃうと、前期では全く違う学部を受けたんです。どこにはいったらいいかすらわからないので偏差値しか見てなくて。浪人するとか、地域のことを学ぶ学部に入るとか、音大に入るとか、いろいろ選択肢はあったんですが、自分で行動に移せる勇気がまだなくて。……そうやって、やりたいなと思ってたことを見えないところにおいて行った感じ」

”部活で全国大会に行く”という目標を叶えられなかったみわさんにとって、大学時代は、自分がなにがしたいのかわからなくなってしまった期間だった。大学の音楽サークルにも顔を出してみたものの、高校のようなストイックな雰囲気ではなく、馴染めなかったという。そして、大学卒業後は、新しいところで頑張ってみたいという思いから、兵庫県にある鉄鋼関係の会社に就職した。

「ただ、別にその会社である必要があったかというとそうでもなくて。自己分析をしたり面接受けたり、就活のずっと試し続けられる感じが精神的にしんどかったんです。だから、2社目に受けたところで内定もらって、お願いします!って感じでした」

その後、慣れない土地での楽しさと寂しさを胸に9年間働いたみわさん。転機となったのは新型コロナウイルスの流行だった。

「コロナの緊急事態宣言が始まったタイミングで東京配属になって、会社にも行けなくなって、なんか何やってんだろ私、みたいな。その前から長崎に帰りたいとは思ってたのですが、完全にそこで『帰る』っていうのが決定しましたね」

確かにそうだった。今でこそ過去のできごとになっているが、パンデミックの渦中は非日常がいつ終わるのか誰にもわからない状況だった。それこそ、終わることがあるのかさえも。そんな状況でみわさんが選んだのは長崎へ帰るという選択だった。

「いつか長崎に帰るんだろうなという思いは元々あったんですけど、いつコロナが終わるかもわからない中で、家族とそばにいた方がいいなと思う気持ちが大きくなっていって。あと、長崎がすごい好きだったし。帰省するときも、帰ってくるたびにめっちゃ嬉しくて、帰ってきて泣いて、そこからまた東京とかに帰る時にまた泣いてみたいな感じでした」

大人になって故郷に帰ってきた人の話を聞くと、外に出て長崎の良さが分かった、という言葉を聞くことが多い。けれど、みわさんは、長崎が大好きな気持ちも、外に出てみたいという気持ちも、ぎゅっと抱えたまま暮らしていたのだ。

 生きる力に近い仕事

長崎に帰ってきたみわさんは、転職先の相談をしたのをきっかけに、長崎県の移住相談窓口で働きはじめた。しかし、人間関係がうまくいかず、結果的に3か月で退職することになる。

一方で、転機になるできごとにも巡り合った。それが、同僚に誘われて参加した長崎を楽しむツアーへの参加だ。

みわさん 後ろ姿

「ずっと行きたいと思っていたところばっかりだった」という数日間のツアーでは、就職以来離れていた旧友と再会するように長崎を巡った。

「しかも、ツアーに参加する人たちが、フリーランスとかばっかりだったんです。自分で何か作って売ってますとか、ライターやってますとか……そうやって生きていけるんですか!?って驚いたし、すごい楽しそうに見えたんですよね」

学生の頃の就職活動では、無機質な求人票の中でどれかを選び、選ばれなければ先がないような焦燥感にかられる。けれど、大人になってみると、選択肢も選び方ももっとたくさんあったことに気づく。そんな感覚には私も身に覚えがあった。結局、ツアーでの出会いがきっかけで、みわさんは今につながるゲストハウスでの仕事を始めることになった。

「最初は抵抗がありました。親にも、大学まで行ったのにそういう仕事でいいの、みたいなこといわれてグサッときたりして。でも実際働いてみたら、自分のできることをやるしかなくて、一生懸命やった結果、私はこの感じかな、と。一緒に働いてる人たちも、すごい今まで働いた人たちと全然違う人たちだし、やることも違うし。今まではデスクワークとかが多かったけど、もっと生きる力に近い方に近づいてる、自分で生きていくのに直接的に役立つ何か仕事をしているような感覚になって面白いなって」

生きるのに近い仕事。私はつぶやくように彼女の言葉を繰り返す。みわさんのなかで、何かが動き出した。

作ることで再発見する

インタビューも中盤。私は思い切って、ずっと聞きたかったことを聞くことにした。みわさんが仕事を辞めた時期にnoteに投稿した記事『1年に2度、会社を辞めました。』についてだ。

その記事のなかでみわさんは、仕事を辞めるに至った理由を吐露し、これからやってみたいことを挙げている。それが、転職活動をすること、会いたい人に会うこと、そしてとにかく創作してみることの3つだ。どこにいけばいいのかわからなくなってしまったとき、転職活動や友人に会うこととだけでなく、なぜ創作することをえらんだのか。最近になって文章を書くことを始めた私は、ずっとみわさんに聞いてみたかったのだ。

「……追い込まれてたのも純粋にあった気もする。転職したのに3か月でやめちゃって、次の転職活動をするにも、それなりの理由が必要になるよなとかいろいろ考えたりして。普通に求人を出しているところに応募して入る以外の選択肢がないのかなって。それこそツアーで自分たちで何かをしている人たちに出会った直後だったので、一般的な就職の流れから一回出て、自分にできることって何なのか試してみたくなったというか」

「気持ちをnoteに綴ったのは、自分が書いたものがどう受け止められるのかも検証してみたかったのかもしれない。自分の中に留めておくんじゃなくて。別に本名とか出してないし、自分に起きたことや感じたことを、別にね、SNSのアカウントとかも繋げてなかったら、これを他の人はどう思うんだろうって純粋に気になった」

みわさんが迷った先で試してみたのは、今までの人生でやりたかったことをやり直してみるということだった。絵をかき、文章を書き、写真を撮った。小さい頃声優になりたかったなと思いだして、自分の声を録音してきいてみたこともあったという。それはみわさんにとって、大学受験の時に”遠くにおいていったもの”なのかもしれなかった。

自分のことを「何かをするときに考えすぎてなにもできなくなることがある」というみわさん。アクティブな印象をもっていたので意外だ、と伝えると、「そうなったのは最近かも」と驚く。お金の使い方も、仕事のストレスの発散から、応援したいお店での買い物や大切な人へのプレゼントに変わった。以前は人や周りまかせだった環境を、もうちょっと自分次第に変えられる部分があるのかもしれない、と思うようになったという。

言葉を大切にしたい −みわさんが今向き合うテーマ

最後に、「みわさんがいま向き合っているテーマはなにかありますか?」と尋ねた。転職して一年。次はどんなことを目指すのだろうと気になったのだ。

けれど、返ってきた言葉はまたもや意外な言葉だった。

ROUTE ノート
みわさん 笑顔

「言葉。言葉を話すときとか使うときもそうですし、受け取るときも、ちゃんと受けとったりというか。なぜその言葉を選んで言ってるのかまで気づけるようになりたいというか。なんでその言葉を使うみたいなときあるじゃないですか。そういうのにいつも気付けるようにいたいなって。眠かったり頭が痛かったり膝が痛かったりで、つい聞き逃しちゃうんですけどね」

そう言って笑った彼女の言葉は、どこまでも誠実で、あたたかさに満ちていて、私はなんだかとても大好きだった。

うまくいかないことや、わからないまま選んだことも含めて、自分の人生を自分で引き受けながら、誰かと関わり、創作し、働く日々の中で、みわさんは少しずつ、自分らしさを取り戻してきたのだと思う。

今日も、彼女は西坂にあるゲストハウス「カフェと宿ROUTE」で旅人を迎え、そして送り出している。 その日常の中で交わされる、なんてことのない言葉や仕草を、できるだけ丁寧に受けとめながら。

あのとき感じたちいさな違いが、いまも変わらず、彼女らしくて素敵だと思う。

梨になりたい私は、バナナになりたいみわさんに、またそっと、憧れを抱いている。


取材・執筆:大賀真帆
撮影・編集:森 恭佑

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